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グラフィックノベル「Natsuko」―日本人移⺠女性の視点から見えるイスラエル

“バヴア”という二人組ユニットが企画する⻑編作品「Natsuko」の冒頭部分が、現在ウェブマガジン「ISRAERU」にて公開中だ。作品は、日本人移民女性の視点からみるイスラエルを描いている。
                ー Norico(バヴア)                                                           

【作品のコンセプト】

「イスラエル」という言葉は独特な響きをもった言葉です。日本や欧米のメディアで「イスラエル」と聞くと政治や外交問題、直近ではハマスやヒズボラとの衝突など物騒な危険なイメージを持つ言葉として語られてきました。しかし、イスラエルにも人々の暮らす日常が存在します。だからこそ外からは見えずらいイスラエルの日常やリアリティを物語にし、多くの方に読んでいただきたいと思うようになりました。物語は読む人の心に共感や、時に反発を産むかもしれませんが、人々の心と触れ合うことを可能にします。「Natsuko」を通して、メディアから知ることのできない「イスラエル」に触れていただけたらと切に願います。
さて、この物語のキーワードは「移⺠と記憶」。移⺠の母国での記憶は、移住先の暮らしの中で、ふと湧き上がることがあります。そんな過去と現在、イスラエルと日本の時間と空間が混ざり合う物語の「Natsuko」をぜひお楽しみください。
https://israeru.jp/culture/bavuah_natsuko01/

【イラストレーターの紹介】

この物語のイラストを描いてくれたのはエルサレム在住のイラストレーター兼デザイナー のノア・ミシュキンです。2022 年、バヴアと「湯気が立つまで」という作品を一緒に制作しました。ノアは伝統的な手法を用いて描く自伝的な物語作りに関心があります。彼女の作品はインスタグラム、ウェブサイトからご覧ください。
https://noamishkin.myportfolio.com/

作品に寄せて ―   Norico(バヴア)

イスラエルに暮らすようになって早いもので4年目に入りました。イスラエルでの暮らしに慣れつつも、新米移住者として今も色々なことを経験しています。そのような日常の中に、今回の作品「Natsuko」の制作につながる小さなきっかけがありました。このエッセイで、制作の裏話としてご紹介したいと思います。

 イスラエルに来て以来、私が「日本から来た」ことがわかると、出会ったイスラエル人は口を揃え開口一番に「日本は行ってみたい国の一つなんだ」「日本を好きなんだ」もしくは「こんにちは(ヘブライ語のイントネーションで)」と話かけてきます。日本に行ったことのあるイスラエル人だと「日本人は礼儀正しい」、「日本はすべてのことが時間通りだ」、「日本の街は清掃されていて綺麗だ」と、こちらが照れてしまうほど褒めてくださるのです。そしてよく仰るのが、「イスラエルと日本は真逆だから」という言葉です。そんな彼らの言葉が「本当にイスラエルと日本は真逆なのかな?」という疑問を呈し、どのような物語で語ればイスラエルと日本の双方が理解をし得るのか?と考えるようになりました。そこで生まれたのが「Natsuko」という日本人移民女性のキャラクターです。日本で生まれ育った日本人移民の目からイスラエルの現状や社会を見ると何が見えるのか。当然、言語、文化の違いは、移民にとってストレスです。母国という比べる対象があるので、全てがポジティブに見えるとは限りません。むしろ生活者としての移民は、この地で生きていくために、新しい文化や習慣に妥協をしながら生きざるえないこともあると思います。しかし同時に移民の目には「日本とイスラエルの違い」だけでなく、自分たちと共感する人間としての普遍的な感情―例えば家族や恋人、友人への想いも見いだすことができるのではないかと考え始めたのです。

 もう一つは、イスラエルは移民の国です。ユダヤ系、非ユダヤ系を含め多様な出自の人々が様々な動機のもとでここに暮らしています。一方で、コミュニケーションテクノロジーの発達のおかげで、母国にずっぽりと足を突っ込んだままの移民も見かけます。そのうちの一人は、海辺のビーチハウスで清掃係として働くアフリカ系移民のオレです。彼女は時間があれば母国に暮らす家族や友人とビデオチャットをしています。しかし、オレのように常に母国とバーチャルに繋がっている移民もいる一方で、母国での思い出や経験を日常のふとした瞬間に感じながら、「今、ここで」暮らしている移民もいると思うのです。例えば、街中でふっと香ってきたお醤油の焦げた香りに、子供の頃に母親が作ってくれた焼きおにぎりをふと思い出したり・・。遠い異国で暮らす移民にとって母国での思い出や記憶は過去の遺物でありながら、今でも自分と母国を繋ぐ特別なものではないでしょうか。日本人移民であれば、「日本」から離れるからこそ、「日本人」であることを意識し「日本」と自分の繋がりに敏感になっていく。このような現象は日本に暮らす日本人には奇異に映るかもしれません。しかし、かつて中南米に移住した日本人たちが祭りや日本の伝統文化芸能を異国の地ですら絶やすことがなかったのは、母国と切り離された移民は、自分が何者であるという問いを常に問いただされる状況に置かれているからだと思います。主人公「Natsuko」も、彼女の日常の中に現れる「日本の記憶」と繋がりながら、テルアビブで暮らし、日本とイスラエルという2つの時空間を生きている。このような視点から「Natsuko」を拝読いただけたら幸いです。

 ところで個人的なことですが、年末にヤフォという場所に引っ越したのですが、以前に暮らしていたテルアビブの中心とは街の雰囲気が全く違うのです。引っ越した当初驚いたのは、キッチンで料理をしているとモスクから祈祷の声(アザーン)が聞こえ、同時に違う方角から教会の鐘の音が聞こえてきます。そして自宅の角を一つ曲がるとシナゴーグがあるのです。ユダヤ系イスラエル人とアラブ系イスラエル人、そしてユダヤ教徒、イスラーム教徒、キリスト教徒がひしめくように暮らす街ヤフォは、「エキゾチック」で「多文化」を体現しているような場所です。しかし一方で、多様な人々が暮らす場所だからこそ、衝突が起こることがあります。
 最近、イスラエルはレバノン、次いでガザと停戦を結びました。停戦によって、これ以上の犠牲が双方にでないことはとても嬉しいのですが、一方で停戦が国内に賛否の議論を巻き起こしているという現実もあります。イスラエルで暮らすことは楽ではないかもしれません。でもだからこそ、この場所にどっぷりと浸かり作品の制作をしていきたいと思っています。
 最後に、テルアビブから見る夕焼けはとても美しいです。この夕焼けを見ながら、私の「日本」に想いを馳せながら。

*写真は筆者撮影

年配の男性人の肖像画

Norico (バヴア)

バヴアは、イスラエルで活動するグラフィック・ノベル制作ユニット。メンバーは、日本人でイスラエル在住のNoricoと、日本人とイスラエル人のハーフでイスラエルの高校で英語教師をしている井川アティアス翔の二人。イスラエルの様々な人びとにインタビューを行い、日常を映すストーリーを紡ぎ、多彩なイスラエル人アーティストたちとアートに仕上げてきた。2021年には、『だれも知らないイスラエル:究極の移民国家を生きる(花伝社)』を出版、2024年にはイスラエルを代表する漫画家ルトゥ・モダンの「トンネル」を翻訳出版。その他、2022年には『ウェブマガジン「ISRAERU」』では漫画の小作品を毎月連載。

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