top of page
チャプターTOP

樹木祭のあと

2

©StateofIsrael

 父が体調をくずしたばかりのころ、連日の雨が止んだ。夕方、わたしが台所で学校の宿題をしていたとき、弟は庭で遊んでいた。外が薄暗くなったので、弟は家の中に入り、廊下でオモチャの自動車遊びをしていた。やはり医者であった母が、父の代わりに診察をしていたのだが、その時間帯にはもう、エントランスに患者はだれもいなかった。わたしは、そこにある母用の大きな肘掛け椅子に腰をおろし、本を読んでいた。夕食をすませた父は時々、わたしたち姉弟に本を読んでくれた。その後、書斎に立ち寄ったわたしたちには、学校での様子をきいたり、字が書けるようになった弟のノートをめくったりした。そして、おやすみなさいを言うわたしの頭をなで、キスをしてくれた。
 テヴェットの月(西暦で12月から1月)が過ぎ、父の容態は快復したが、どういうわけか天候が変わって、どしゃぶりの雨がつづいた。昼も夜も雨は降りつづき、父は笑って言った。
「元気になったら、いきなり洪水だ」
 シュヴァットの月(西暦で1月から2月)の14日になってもまだ雨はやまず、娘を気づかう父は、これでは植樹遠足に行けないだろうと案じた。わたしは新しいリーダーのラフィに憧れていたので、植樹遠足にはぜったいに参加する気でいた。わたしは、遠足参加は父の願いなのだと自分に言い訳をして毎日祈り、その願いはついに叶った。
 植樹遠足の朝も雨は止まず、家を出ようとしたわたしに、父は「セーターをもう一枚もっていきなさい。濡れないようにしなくては」と言った。
 丘には小雨が降り、植樹区にたどりつくまで、みんなは泥どろの土に足をとられた。そばを歩いていたラフィの手に、わたしの手が何気なく触れた。その瞬間、胸がきゅんとなった。
 現地で挨拶に立ったユダヤ国民基金の代表者は、わたしたちが参加する植樹は、ショアーで犠牲になった子どもたちを偲ぶ森づくりだと語った。丘の斜面では、スコップを手にした少年少女たちが、耕された土のくぼみに苗木を植えている。わたしも、自分の小さな苗木をくぼみに植えて根元に土をかぶせたとき、泥がてのひらにこびりついた。わたしの苗木は、根をはるだろうか? ふと、父が病(やまい)で死ぬのではないかと怖くなった。そばで苗木を植えているラフィに、すがりたかった。もしかしたら、励ましてくれるかもしれない。わたしは背を伸ばし、彼の方に目をやった。彼の不愛想な視線と目が合ったとき、この人にはすがれないと知った。
 

PAGE

bottom of page