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樹木祭のあと

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©StateofIsrael

 わたしは寝室を出て、浴室に入った。壁のフックに、父の茶色の毛糸のガウンが掛かっている。わたしはガウンを頭からかぶって、唇を当てた。そして空っぽの袖をつかみ、その暖かくてざらついた毛糸で自分の顔をそっとなで、「泣かない」と心に誓った。
 翌日、自宅の庭に多勢の人が集まった。親類や友人知人、それにわたしの友人も教師たちも来てくれた。司式のラビが到着したとき、弟も連れてこられた。ラビは、柩の後をわたしたちと共に一番近いユダヤ教会まで歩いた。ラビはそこで「カディシュ(弔いの祈り)」を唱え、知り合いに付き添われて自宅に帰って行った。
 母は涙を見せなかった。わたしは一度だけ、近くにいたリーダーのラフィと目が合い、急に喉元に涙がこみあげた。植樹遠足のときにわたしを襲った死の恐怖が思い出され、彼にはすがれないと再び自分に言いきかせた。
 墓地で、母もわたしも戒律に従って衣服の一部を裂いた。数人が死者への弔辞を語った。包まれた父の遺体が墓穴に下ろされ、スコップを手にした周囲の人々が、土をすくっては投げ入れ、包まれた遺体の上に土をかぶせていった。わたしは母の所作をなぞり、地面に腰をかがめた。つぶ状の土にわたしの握りこぶしがもぐり込み、てのひらには黒くてやわらかい泥がついた。ゆるぎない大地の土くれ。もしかして、そこには種子が隠れていて、春になったら父の墓石のそばで花が咲くかもしれない。ということは、あの丘の斜面で、ショアーの犠牲になった子どもたちを偲ぶ苗木にも、新芽が出るにちがいない。それに、わたしの心の奥底にある氷の塊も、いつの日か溶けるだろう。
 きのう、太陽が昇り、果樹園から甘い香りが風にはこばれてきた。あの日、自宅のベランダに腰をおろした父は、もうすぐ春が来て、そのうち夏になれば病院勤務になると話していた。今は一か月も降りつづいた雨で、地面はまだ泥どろだった。農民に至福をもたらすたいそうな水が、大地を潤していた。


Acharei Tu Bi-Shvat (After Tubishvat) by Ruth Almog from “Acharei Tu Bi-Shvat (After Tubishvat)“
Tarmil Publishing House ,1979, pp 44-51


                   (ひぐち のりこ ヘブライ語翻訳家)

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