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1

シナイ半島がエジプトに返還される(*1)直前の夏だった。ぼくは13歳、両親とその友人たちと連れ立って、ラスブルカにキャンプに行った。家族で旅行したのは、それきりだったように思う。それ以後、出かけるときは友だちと一緒のほうが良くなってしまったから。それはさておき、キャンプの仲間うちに、脳性麻痺の少年がいた。少年の家族は、みんなから少し離れた隅っこにテントを張っていたので、ぼくが彼に気づいたのは幾日か経ってからだった。それも、まったく偶然だった。シュノーケリングをしようと海に入ったぼくは、ずいぶんと沖まで流されてしまった。波が高く、シュノーケルに塩水が入って、マスクのなかも砂だらけになった。ぼくは途方にくれた。しばらくして、サンゴの合間に曲がりくねった砂の抜け道があるのを見つけ、海岸めざして一心に泳いだ。ようやく砂に腰を下ろして息を整え、足ビレを脱いで、自分のテントを目指して歩き出した。もうぜったいに、ひとりで水には入るまい、とこころに誓いながら。
その子に気づいたのは、そのときだった。
少年はテント脇で、車椅子に座っていた。
近寄ってもいいものか逡巡したが、少年がほほえみかけてくれた気がして、ぼくは海岸線をそれて彼の方に歩いていった。
近づいてみてわかった。それはほほえみではなく、麻痺で口元が引きつっていたのだ。
でも、問題はそこじゃない。
少年の顔には、何十という蠅がたかっていた。くちびる、鼻先、鼻腔、耳孔、頬、首筋、顎、髪の毛、そしてヘンテコな分厚い眼鏡にも、そこいらじゅうに。
大きいものから小さいもの、動かないもの、嬉々として足先をこすりあわせているものまで、ありとあらゆる蠅たちがそこにはいた。
この子は、どうしてこんな場所にほったらかしにされているんだ? 親は何をしているんだ? ぼくは啞然とした。
「どうにかしてよ」眼鏡の奥で、少年の目が語っていた。「助けて」と。少年の口からは、傷ついた動物のようなうめき声が漏れた。
ぼくは着ていたシャツを脱ぐと、少年のまわりで振りまわしはじめた。何匹かは逃げていったものの、ぜんぶは無理だった。ぼくはもう片方の腕を振りまわし、足をあげて彼の眼前の空を蹴った。少年に触れないでできる範囲のことは、何もかもやった。飛んだり、跳ねたり、あまつさえ彼のテントに無断でもぐり込み、石炭の火起こし用のダンボールの欠片を拝借して、少年のうなじのそばで思いきり振りまわした。しつこくたかり続ける蠅の一群がそこにいたからだ。
しばらく懸命に奮闘したあげく、追い払えたのはやっと半分くらいだった。その場を離れようものなら、すぐにでも蠅たちが舞い戻って、少年の顔を覆い尽くしてしまうのは目に見えていた。だが、ぼくにはどうしようもなかった。キャンプ場のど真ん中まで大声で助けを呼びに行きたかった。
「すぐ戻る」ぼくは少年に言った。彼は縦にも横にも首を振らない。その目がかすかに、ありがとうと言っているようにも見えたが、確信はもてなかった。「戻るからね。すぐに」ぼくは繰り返した。少年の表情からは、なにも読み取れなかった。
ぼくはキャンプ場の中央までひた走った。砂で足の裏が焼けつくようだった。ところが目的地に着く手前で、テントに戻ろうとしている少年の両親に出くわした。母親の方は、生まれたばかりの女の子の赤ん坊を腕に抱いていた。金髪だ。父親は折りたたみ椅子を2つ抱えている。あの子が……あそこで、ひとりぼっちで……蠅が。おもわず口をついた言葉は、舌先で絡まりあった。
わかってる。父親が落ち着きはらって、穏やかに答えた。しようがないの。と母親がため息をついた。あの子のそばにはりついて、一日じゅう蠅を追い払っているわけにはいかないのよ。
はい、でも……ぼくは言い返したかった。足ビレをバタつかせて抗議したかった。でも、言葉はばらけて、ちゃんとした文章にならなかった。結局のところぼくはまだ13歳で、まだ少し大人がこわかった。

(*1)シナイ半島返還…… 1978年のキャンプ・デービッド合意により、82年4月にかけて順次イスラエルからエジプトへ返還された。

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