蠅

ともかく、気にしてくれてありがとう、と父親が言い、歩き出そうとした。この子、肌が弱くて炎天下に長くいられないの、と母親は金髪の赤ん坊を指差して去っていった。
赤ん坊は――眠っていた。色白でかわいかった。
その晩、ぼくは両親にその出来事を話した。父さんも母さんも、きっと憤慨するだろうと思っていた。ぼくに対して頭にきたときの、お決まりの文句を並べて。「恥さらしだ」、「まったく恥ずかしい」、あるいはもっとひどければ、「こころが貧しい」と。
だが両親はその話にまったく興味を示さなかった。意にも介さなかった。ぼくは面食らった。両親にしてみれば、それはなんら珍しい光景ではなかったのだ。仮庵祭のとき、同じ仲間とガリラヤ湖畔でキャンプしたときも、例の少年が来ていて、そのときも彼はテントの外で車椅子にのせられ、顔中に蠅がたかっていたという。
確かに見栄えがいいとはいえない、と父さんが言った。だが、いったい何ができる? そばにはりついて、一日じゅう蠅を追い払っていろというのか?
わたしに言わせれば、それでもあの子を連れてくるんだから、立派よ、と母さんが言葉を継いだ。施設に置いてくることだってできるのよ。あの両親は、あの子をふつうの子みたいに育てようと頑張ってる。
だったら、どうしてあの子を隠すのさ? 半島全域に響き渡るほどではなかったが、思いがけない大声が出た。あの人たちのやってることが立派で、ひとつも恥ずかしくないんだったら、どうしてわざわざ離れた場所にテントを張るんだよ⁉
支度もみんなより時間がかかるし、あの場所しか残ってなかったんだ。父さんがピシャリといった。
そうよ、と母さんも加勢した――母さんが父さんに味方するなんて、ここ最近なかったことだ。たまたま、偶然よ。ガリラヤ湖のときには、真ん中のほうにテントを張ってたし。
あの子の両親と同じような言い分に、ぼくは何も言い返せなかった。筋はちゃんと通っているし、納得するしかなかった。でも、言いくるめられた気がしてならなかった。父さんはろうそくの火を消し、暗闇で母さんが言った。他人のことを思いやれるなんてすごいわね、その思いやりで、たまには食器を洗ってくれてもいいんじゃないの、シナイに来てまで、料理も皿洗いも母さんがやらなくちゃならないなんて道理はないでしょ、と。
翌朝起きてみると、夜の間にイスラエルからさらにたくさんの家族連れがやって来ており、海岸じゅうにテントが張り巡らされていた。おい、リナ、信じられるかい、イスラエルの民がシナイ半島に別れを告げようと、大移動して来たみたいだ。朝の体操を終えた父さんが、テントの外で声をあげた。あらまあ、母さんが嬌声をあげて出てきた。ほんとに、国ごと来ちゃったみたいね。
両親のやりとりは聞くに堪えなかった。まるで自分たちはイスラエルの民じゃないみたいだ。でもぼくは黙っていた。テントから出て、遠くまで海岸に目をこらした。蠅の少年のテントはもはや隅っこではなく、こぢんまりした海岸沿いを、小高い丘から砂丘にかけてところ狭しと立ち並ぶテント群のど真ん中になっていた。よし、とぼくは思った。これでイスラエルの民がこぞって、車椅子に乗って苦しんでいるあの子を目にすることになる。だれかひとりくらいは、あの子の両親に注文をつけるはずだ、と。
おなじ日、太陽が山側に傾きかけたころ、ぼくはもう一度シュノーケルをつけて、赤い大きなサンゴの林をかきわけるように、細く曲がりくねった砂の道を泳いでいった。海からあがって砂浜で体を乾かしてから、あの子のテントを探した。見つけるのは容易ではなかった。テントはたくさんの他のテントに囲まれてしまっていた。だが、車椅子の鉄パイプに反射する陽の光に目を射られて、進むべき方向がわかった。
彼はそこにいた。テントがつくるちいさな日陰のなかに。ぼくは少年の瞳にしるしを探した。ぼくに気づいて、思い出してくれたかどうか。でも、何も読み取れなかった。その顔には、黒山の蠅がたかっていた。百万、いや十億かもしれない。ぼくは思った。夜明けからこのかた、イスラエルの民はことごとくここを通ってきたはずだ。でも、素通りしたんだ。
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