ガブリエルとファニー(プロローグに代えて)
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祖父母の愛憎物語によって、わたしたち家族の暮らしにも波風が立った。というのは、祖父母は離婚している間柄なので、ユダヤ教の戒律によると、いっしょに暮らしてはいけない。それで、わたしは、居間にあった折りたたみベッドに横たわる陰気なアメリカ老人の足元で寝て、長男である兄は、祖母と狭いテラスを分け合って寝た。古い傷跡が、再びくすぶった。わたしの中で、火のついたイディッシュ語があちこちぶつかり合った。沈黙は言葉をせきとめ、行き場のない空気が部屋に満ち、たれこめる暗雲に窒息しそうだった。祖父母の事情は、わたしの耳には入らなかった。先に書いたように、離婚などは死と同じように忌み嫌われ、子どもたちに語ってはいけなかった。
ところが、ありえないと思われた解決策が、家庭内で浮上した。祖父が祖母に復縁をもちかけて、こともあろうに祖母は承諾したのだ。その時の祖父は、家族という圧力鍋の中で、ひたすら押しつぶされているわたしの母に同情して、これ以上の面倒はかけまいとその策を考え出したらしい。まるで巧みな仲人の手腕があったごとく、その取り引きは、最初からうまくいった。
祖母はなぜ、祖父の求めに応じたのか? 長年の屈辱への代償として、してやったりの勝利の高揚感と、石灰化した愛が遅ればせにやっと実ったという達成感だったのか、あるいは、人生の終盤において、失明して年老い、すでに手も足も出なくなった夫がついに妻の元に引き渡され、妻が夫をしきる、役者交代の皮肉な運命を受け入れたということなのか。祖母ファニーは、夫となるガブリエルが二度と彼女を見捨てないと知っていた。
ささやかな結婚の儀は、テルアビブのユダヤ教ラビの事務局で行われた。孫である兄とわたしの名前は、参列者リストにはなかった。花嫁衣装もなく、一生の記念を撮る写真家もいなかった。しかし、〈若いカップル〉には、イスラエル法に基づいて、格安のアパートを入手する権利があり、彼らはわたしたち家族の近くに居をかまえた。ぴかぴかの乗用車プリムスだけが、わたしたちの家の敷地に駐車することになった。なぜなら、完全に失明した祖父は、もう自分の車を運転できなかったからだ。
ハッピーエンドといったところか。
手元に残ったアルバムにあるお祝いのスナップ写真の中で、祖母は唇をつぼめて、ぼんやりと焦点を定めず、持って行き場のない両手を膝の上に組み、40年前に出て行って、いきなり彼女の元にもどった白髪の男とは、何の関りもないそぶりに見える。
その二人の真ん中で、笑っている女の子がわたし。
ファニーとガブリエルの二度目の結婚生活は、最初の結婚より難航した。夫は絶望状態で不満ばかりを募らせ、イスラエルを憎み、失明の不運をののしり、移民の特権で入手したラジオの〈アメリカ放送〉番組に一日中しがみついていた。妻である祖母に向かっては、英語とイディッシュ語をごっちゃにして悪態をつきつづけ、片や祖母の方は、受けた侮辱を冷静に我慢強く受け止めて、夫が妻に依存する真意を常にすくいとろうとした。わたしの父は、毎晩ニューヨーク証券取引所の株式相場情報を読んで聞かせるなど、一応の敬意をもって自らの父親に対峙していたが、肉親への深い愛情からではなかった。
「おじいちゃんを赦していたの?」と、大人になってからきいてみたが、わたしは父が、祖父を最期まで見捨てなかったその寛容な姿に、頭が下がった。たとえ自分を見捨てた父親の面倒を見なかったとしても、心優しきユダヤ人たちは、だれもとがめなかったであろうに。わたしは、そういう父をぎゅっと抱きしめた。父は少年のように顔を赤らめ、当時のわたしには疎まれたイディッシュ語で、「血は水よりも濃い」という代々受け継がれてきた格言を、とまどいつつ口にした。
家族ドラマは、いよいよ終章へとつづく。ラビの司式で執り行われたささやかな結婚の儀から3年後、こともあろうにニューヨークから、きらきらのカルラ・メンデルがとびこんできた。兄とわたしには、〈アメリカのおばさん〉ということになった。派手な服装で、真っ赤な口紅、小柄で笑い上戸のそのおばさんは、クリノリンという膨らんだスカートのお人形とリモコン付きのオモチャのジープを手土産にしてきて、わたしたち兄妹は、あっというまに労働者の街テルアビブの子どもたちの、羨望の的になった。
カルラのべたっとしたキスや、人前で「スウィティ」とか「ダーリン」とかいう呼び名を含んだうざったい愛情表現を、わたしは意識的に避けていた。祖母と同じく、カルラも貞節を守ったというから、兄とわたしはきっと、彼女の孫同然だったにちがいない。
彼女は、以前のパートナーの男と、今となっては再び妻となった女の暮らす、つまり祖父母の家に宿泊した。
信じられないことだが、祖母とカルラはなぜかうまく付き合い、彼女たちの連携と協力は素晴らしいものだった。二人の女性を翻弄した男に対して、二人は意気投合し、その報いを倍増して懲らしめた。その男の陰で、交わされた彼女たちのささやきは、物語の中でしか造り上げられないのだが、この奇妙な愛のサーガによって創作の泉をもたらされたわたしは、幸せな娘ということか。
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