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狭い廊下  

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©StateofIsrael

 83番地のフラットを買ってから、わたしは、女の息子と好ましく想いあう仲になり、彼はわたしの階にのぼってくるようになり、しだいに、わたしの住まいで夜を過ごすようになった。彼が寝入ったあと、彼のフラットの浴室側のベランダから、母親の溜め息が聞こえてくることもあった。
 彼は、よく働く、立派な青年だった。朝5時には仕事に出かけ、夜10時に帰ってきた。母親は、「おやすみ」のあいさつぐらいには立ち寄ってくれるだろうと、一日じゅう、息子の帰りを待ちわびていた。だが、彼はまっすぐわたしのところに帰るほうを選び、滅多に母親と病身の義父のところには行かなくなった。
 「引っ越そうよ。ここから2ブロックぐらいのところでいいから、引っ越そう。ともかく、あの女から自由になりたい」と、息子はいった。
 わたしは、自分の唯一の財産を犠牲にするなんて承知できなかったし、それに、フラットの価値評価もかなり高くなっていたので、ここを賃貸に出して、近くのブロックにフラットを借りることで折り合った。当時、わたしはまだ車を持っていなかった。彼の死後、彼が全財産をわたしに残してくれたので、やっと車を買うゆとりができたのだ。わたしはこの辺りがとても好きだし、交通の便もこのうえなくいい。バス1本で繁華街に行けるし、行きたいところにはたいてい歩いていける。わたしにとっては、たいそうなことだ。
 わたしたちは、すぐ近くにフラットを借りて引っ越した。3年間、彼と暮らした。そして、母親がいうように、じわじわと、わたしは彼の血を吸っていった。
 母親の料理に慣れている彼に、わたしは食事をつくらなかった。ぜんぜん。初めのうちこそ、「週に3回ぐらいは、スープにメインディッシュ、デザートのついた、まともな食事をしに、おふくろのとこに行こう」と彼につつかれたが、自分の死骸を越えてじゃないと食べものには近づかない、とわたしはいった。
 第一、自分の身体にどんなものが入るか見当もつかないじゃないの。それに、夏にはビキニになって海に行きたい。脂肪のかたまりを持てあまして、家にこもってるなんていやなのよ。でも、お母さんのところに行きたいんだったら、かまわない、行ってらっしゃいよ。わたし、怒らないから。行っていいのよ。
 たしかに2、3度、彼は母親の料理を食べにいったが、帰ってきてもなにもいわなかった。それ以来、食事においで、と母親は電話をかけてこなくなったし、コーヒーにさえ誘わなくなった。母親にも、母親の再婚相手にも、わたし自身は何も含むところはなかったが、わたしが母親とのつながりを切らせたようなものだった。

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