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聖地の偏愛叙情詩 / 下

5

Ⓒ Naeko Hatano

数日が過ぎ、それが数週間になり、やがて数か月が経った。ぼくとムハンマドは相変わらず交代でエラの面倒を見ていた。一緒に夜を明かすこともあった。ふたりでエラの髪を梳かし、体を洗った。床ずれ防止の寝返りもさせた。何もかも協力しあった。周りからは完全に兄弟だと思われていた。ぼくらも敢えて訂正しなかった。
ムハンマドは、モニター類や栄養チューブや人工呼吸器に異常がないか、常に気を配っていた。こんなやつがエラを好きだということが、ぼくは誇らしかった。エラが目覚めてぼくらふたりを見つめる日を、共に待ち焦がれた。ぼくらには共通点のほうが多かった。どこかのスウェーデン人とエラを共有するよりよっぽどいい。ぼくらはどちらも書くときは右から左で、どちらも子ども時代に親から暴力を振るわれていたし、どちらも住むなら海のそばがいいと思っていた。ぼくは変わった。あらゆる暴力行為に嫌悪感を覚えるようになった。道路に鳴り響くクラクションにすら。ムハンマドも同じだった。
エラを見舞うときには、夜中でも「おはよう!」とぼくは呼びかけた。それこそがエラを覚醒させる魔法のことばだとでもいうように。ときどきエラを叱りつけた。なんでこんなことしちまったんだよ? 3人で暮らすこともできただろ! でもそんなの、エラを失ってみて初めて分かったことなのかもしれない。結局のところ、打ちのめされたのはどっちだろう。エラか。ぼくらか。
「少し寝たらどうだ?」ベッドサイドのムハンマドにぼくは問いかけた。重たい瞼がいまにも黒い瞳に落ちかかりそうだ。
「いいや」ムハンマドがつぶやく。「おれは平気だ。おまえのほうこそ」
「コーヒー」とぼく。「淹れてくる。ぼくら、寝るわけにはいかないだろ」

出典:
https://shortstoryproject.com/he/stories/%d7%a1%d7%90%d7%93%d7%95-%d7%9e%d7%90%d7%96%d7%95-%d7%91%d7%90%d7%a8%d7%a5-%d7%94%d7%a7%d7%95%d7%93%d7%a9/


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