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聖地の偏愛叙情詩 / 中 

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Ⓒ Naeko Hatano

あなたね」捜査官がしびれを切らした。「そろそろ本題に入りましょうか。意識不明の女性がいて、あなたは第一容疑者なんですよ。知りたいことはひとつだけ。昨晩、どこにいましたか?」
留置所の窓から垣間見える空には雲が垂れ込め、次第に黒味を帯びていった。捜査官は何度も机をたたいて質問を繰り返した挙句、とうとうあきらめて部屋を出て行った。ぼくが、テルアビブの港でのエラとの感動の再会について話さずにいられなかったせいだ。

エラは意外にも、感極まったようにぼくの手を取って踊りはじめた。無邪気なぼくは、エラが染み一つないきれいな体でぼくを待っていてくれたと思いたかった。でもエラはぼくを裏切っていた。ぼくが忠実だったのが夢の中でだけだったように。エラはペルシャ人、ギリシア人、ローマ人、イスラム教徒、キリスト教徒、トルコ人にイギリス人といった男たちと、次から次へと関係を持っていた。
エラは言った。たまたま、いまは地元の人とつき合ってるんだけど、彼、あなたに似てるの。ねえ、あなたがいても、彼と別れなくていいよね。ぼくは即座に、もちろんだよ、と答え、自分に言い聞かせるように、海外で鍛えられたしね、とつけ加えた。忘れかけていたヘブライ語がよみがえってきた。切り刻むような“ヘット”、引きずるような“レシュ”、ひっぱたくような“ラメド”。
ぼくがエラの部屋に引っ越した日、ドアベルが鳴った。開けないで、とぼくはささやいた。エラが言った。もしかして彼なの? ようやくご対面てわけね。また今度にしてよ、とぼくは懇願した。そんなふうに追い返すのは良くないでしょ、とエラ。だれが追い返すって? とぼくはとぼけた。わたしを愛してくれてるのよ、とエラは食い下がった。ぼくのほうが愛してる、とぼくはエラの燃えるように熱い首筋に唇を押し当てた。わたしは彼のことも好きなの、とエラは言って起き上がろうとしたが、ぼくは彼女をベッドに押しつけた。やつは焦ったような怒りを込めて乱暴にドアをノックしたが、やがてエレベーターが下りていく音がした。井戸に滑り落ちていくキツネの遠吠えのようだった。

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聖地の偏愛叙情詩 / 中 

聖地の偏愛叙情詩 / 中 

ロイ・ヘン

著者:

波多野苗子

翻訳:

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