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聖地の偏愛叙事詩 / 上

2

ⒸNaeko Hatano

すべては親父に追い出されたときからはじまった。この話を聞いたら誰だって、まるっきりどうかしているのは親父の方だと思うだろう。ぼくが部屋で裸で寝ていたら、いきなり怒鳴りこんできた親父が言った―― リンゴジュースには手をつけるなと言ったはずだが? 父さん、ぼく裸なんだ、出てってよ! ジュースは父さんが飲みきって、空ビンをそのまま冷蔵庫に戻したんだろ!
傍らのパソコン画面に映った女が、ヘビのような物体をもてあそんでいる。親父はぼくの肋骨に拳を押し当てた。それがお前の生き方か? 天国を提供してやったのに、俺の顔に唾するとは。服を着て、さっさと出ていけ、冗談抜きでだ。さあ、はやくしろ、さっさと行け!
はじめは良かった。親父から解放された自由を存分に味わった。でも次の瞬間、洪水が襲ってきた。どこかの賢人が、身の危険を感じている若者たちのシェルターを紹介してくれた。そこではみんな野生動物みたいに振る舞っていたが、居心地はまあまあだった。ぼくはそこで40日間過ごした。ヨナ(ハト)っていう女の子が、飛びたとうとして窓から身を投げるまで。その子はオリーブの木に墜落して首の骨を折った。
ぼくは働くことにした。多言語の飛び交うタワービルのオフィスで清掃員をやったときは、脳みそがくらくらした。エジプト人のレストランではピラミッド状に積み上げられた皿を洗った。最後は逃げ出したけど。砂漠でヒッチハイクをしていたある日、砂に埋もれた金のイヤリングを見つけた。でもいざ売ろうとしたら、偽物だとわかった。テルアビブに戻るバスを待っていると、停留所のベンチで聖書を見つけた。適当にページをめくると――十戒が出てきた。ぼくは瞑想したくなって、ふと顔をあげた。視界に飛び込んできたのは青空ではなく、彼女だった。
「テルアビブ行きのバスって、もういっちゃった?」彼女は汗を滴らせていた。
「いや、まだだよ。ぼくも待ってるところ」ぼくは声を張りあげた。
ぼくはバスで彼女の隣に座ると、その体をこっそり偵察した。ガッチリか華奢か、ぽっちゃりかスレンダーか〔註1〕。彼女との関係はアリだとは思ったけど、それだけだった。その頃のぼくは本当に野蛮な動物みたいで、衝動だけに突き動かされていた。ぼくは巧みに彼女を口説き落とし、極めつけにこう打ち明けた。テルアビブには、ほかに知ってる人がいないんだ。

註1:民数記13章18節より

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