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チャプターTOP

1

わたしたちは、庭に面した庇つきのベランダにいた。庭は木々に囲まれ、果樹や噴水や銅像が並んでいる。そのとき、ベランダの庇を支える垂木のうえに据えられた鳥の巣が、わたしの目に飛び込んできた。複雑に絡み合った、小ぶりで完璧な球体。無数の小枝が緻密に編み上げられ、底知れない奥義を隠している。巣作りをしたものだけが卵を産みつけることのできる、ごくせまい開口部のみを残して。
飲み物を注ぐと、女主人はわれわれの向かいに腰かけた。つい最近、リタイアしたばかりだ、と言った。ちょうど第二の人生に取りかかったところだ、と。とあるギリシャの島に家を建てているそうだ。完成までずっと島で過ごしながら、趣味の水泳とボート遊びに興じるつもりだという。立地は最高で、海が見渡せるうえにプライバシーも確保されており、依頼した工務店も申し分なく、すべての部屋が日当たり良好だと、女主人はこと細かに語ってくれた。島そのものも――素晴らしい、のひとことだ、と。文句のつけようがない、と。代々住んでいる島の人々、絵画から抜けでてきたような村々の風景、昔懐かしい食堂の数々。きっとこれからも変わらないでしょうね、だって地元の皆さんは、これ以上の開発には反対しているそうだし、と女主人は言った。建築許可を下ろした地元民たちも、少なからぬ恩恵をこうむったという。彼女の新居は島内で唯一の、プライベート・プールつきの邸宅になるはずだからだ。
女主人より少し年上らしき夫が、傍らで話を聞いていた。いったい、そんなもの建てて何になるんだ、とヘブライ語で独りごちながら。夫の言葉が聞こえたのか、妻はこうつけ加えた。「イスラエルからも近いの。といっても、この人の兄も亡くなったいま、あそこにはだれも残っていないけど」
庭の方角から笑い声が聞こえてきた。女主人は、鬼ごっこに興じるわたしの娘たちを見た。「うちの子は、もう31歳よ。ほんと、あっという間だった」
こちらに向き直った女主人は、その瞬間、あの巣に気がついた。恐れとも驚きともつかない嬌声が、その口からもれた。「巣よ! 巣がある!」。だが近づいてみると、「空っぽね」、とがっかりしたように言った。「きっと、去年からあったのよ」女主人は裏庭に視線を投げ、遊んでいる娘たちをちらっと見てから、ふたたび巣に目をやった。「ともかく」と彼女は言った。「いい兆候よ。小鳥がここに巣をつくろうと思ったなら、わたしのしたことも間違っていないはずだもの」

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