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不思議な子ども(神童) 下

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🄫Yuki Hashimoto

 僕は黙り込んだ。
 「そりゃ、ほんとに気の毒だったな」運転手は考え込みながらいった。「で、どうするつもりかね? まだ、痛むのかい?」
 「いや……家に帰るつもりだったが」
 「どういう立場で?」
 「立場……多分、新しい住人としてかな」
 「13歳でか?」運転手が、また吹き出した。肩がふるえ、顔を手で隠しながら頭を振っている。しばらくして笑いがおさまると、僕をじっと見つめた。
 「なあ、おれんとこへ来ないか? うちにはチビが3人いる。あんたで4人目だ。亡くなった先妻の息子だってことにするさ。おれが住んでるあたりは詮索がましくないんだ。アパートじゃ、しょっちゅう子どもが生まれてる。みんな、誰が自分ちの子で、誰が隣の子かわかってないくらいでさ。あんたぐらいの年齢は保護者が必要だ。大人の頭脳を持ってたりすれば、なおさらだ。どうかね?」
 「……よくわからない」
 「何をわかる必要がある?」運転手は興奮してきた。「タクシーを手伝ってくれ。車を一緒に磨いて、あんたは学校にいく。問題ないだろ? 全教科A、優等生だよ。おれには数学がAの息子ができるってわけだ。ヨアヒム、どうだ?」
 「何ていっていいか、わからない」僕は戸惑っていった。
 「大きくなったら、記者になるのさ」
 「わからないよ。記者にはならないと思う」
 「いんにゃ、大記者になる。おれは純金製の提案をしてるんだ。バル・ミツヴァ(男子13歳で祝う成人式)もしよう」
 「もう、すんだよ」憮然として、僕はいった。
 「おれたちがやるようなやつじゃないだろ。さあ、ぼうず、ココアを飲んじまえ」
 「ぼうず、なんて呼ぶな」僕は、うなるようにいった。
 「おれが好きなように呼ぶさ」
 運転手は立ちあがると、テーブルに紙幣を置いた。
 「来いよ」

 なぜだかわからない、だが、正しい一歩を踏み出したのは確かだと、いまは思っている。僕の状態で、他に方法はあったろうか。宇宙船を信じている見知らぬタクシー運転手だけが、僕の話にまともに耳を傾けてくれた。僕は彼の実の息子、奥さんには義理の息子になった。奥さんは何もきかないで、あるがままの僕を受け入れてくれた。周囲も当たり前のように僕を受け入れてくれた。
 いま、こうしてエルサレムの街路を歩きながら、新聞を読んでは混乱したり、読み違えたり、力を落として右往左往し、意味もなく新聞を一面、また一面と丹念にめくっているくせに、本当に起きたことが何かさえわかっていない人たちを見ると──僕はしみじみと、自分の不在を思う。僕がそばを通っても、誰も僕に気がつかない。昨日の晩は『マコール・リション』の熱心な購読者が僕の足の指を踏んだが、一言の挨拶もなかった。でも、僕にはどうでもいい。かつて新聞界の大物だったとしても、いまは、エルサレムの郊外の住宅地をうろついている、子どもにすぎないのだ。放ったらかしの、貧しい、だが、驚くほど明敏な。(了)

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不思議な子ども(神童) 下

不思議な子ども(神童) 下

オルリ・カステル=ブルーム

著者:

母袋夏生

翻訳:

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